無痛分娩について
事前の正しい理解はとても大切です
無痛分娩とは
「無痛分娩」とは何らかの麻酔を使用することにより分娩時の痛みを和らげる行為全般を意味します。痛みが全くないお産が無痛分娩、あまり痛みがとり切れなかったお産が和痛分娩という意味ではありません。つまり、痛みがとれたかどうかに関わらず、痛みを緩和するための麻酔処置を行った分娩を「無痛分娩」と言います。
日本産婦人科医会の調査によると、日本の総分娩件数における無痛分娩の割合は、2016年度は6.1%で、約5万人の妊婦さんが無痛分娩を行っていました。海外での無痛分娩率は高いと言われますが、特にフランス・北米での無痛分娩率は高く、その割合は60~80%に上ります。日本には痛みに耐えて出産することを良しとした文化があり、それは今も根強く残っていると思われますが、時代の変化とともに今後日本での無痛分娩率は増加していくことが予想されます。
無痛分娩の種類・方法
無痛分娩の代表的な方法としては、点滴で麻酔薬を投与する「経静脈麻酔」と「硬膜外麻酔」の2種類があります。静脈麻酔は点滴から麻酔薬を投与できるので手技的には簡単ですが、母体や児への影響が強いため、実際には日本で行われている無痛分娩の多くが硬膜外麻酔です。
硬膜外麻酔は、背骨の間から針を刺し硬膜外腔という空間に細い管(カテーテル)を留置し、そこから麻酔薬を注入する方法です。
当院でも無痛分娩には硬膜外麻酔を行っています。また、硬膜外麻酔よりも効果発現の早い脊椎くも膜下麻酔があり、分娩の進み具合によって使い分けることがあります。
硬膜外麻酔の開始時期
24時間体制無痛分娩
自然の陣痛発来に合わせて硬膜外麻酔を開始する方法です。分娩誘発を行う必要が無く、また実際に陣痛の痛みを経験した後に無痛分娩をするかどうかを選択できるメリットがあります。
計画無痛分娩
日程を決めて硬膜外麻酔を併用した分娩誘発を行います。子宮口を広げる処置や原則全例に陣痛促進剤を使用します。夜間や休日などマンパワーの不足する時間帯を避けることで安全性を担保できます。
当院は原則24時間体制の無痛分娩を行っています。陣痛や破水で入院した後子宮口の広がりや痛みの強さなどを評価し、適切な時期に麻酔を開始します。
硬膜外麻酔の方法
背骨の間から針を刺し、硬膜外腔という空間に細い管(カテーテル)を留置し、そこから麻酔薬を注入します。子宮や骨盤・腟周囲に生じた痛み刺激は脊髄神経を通って脳に伝わり、そこで初めて「痛み」として認知されます。硬膜外麻酔はこの痛み刺激の伝達をブロックすることにより脳で生じる「痛み」の発生を抑えます。
麻酔注入開始から効果発現までに30分程度の時間を要します。適切な麻酔効果が得られたら妊婦さんに麻酔投与のボタンをお渡しします。PCEA(patient controlled epidural analgesia)といって、痛みを感じたらボタンを押すことによりご自身で麻酔薬を投与する方法です。さらに一定間隔で自動的に麻酔薬が投与されるPIB(programmed intermittent bolus)を併用しています。連続してボタンを押しても過剰投与にはならないよう、投与間隔に制限をかけていますので安心して使用できます。
お産の痛みの伝わり方
子宮が収縮したり、子宮出口や腟が引き延ばされたりすると、その刺激は神経(黄色に描かれた線)を介して背骨に伝わります。その後、脊髄を上がって脳に達し、「痛み」として感じられます。
- 麻酔をするときの姿勢
- 横向きに寝て背中を丸めます。自分のあごを胸に、ひざをおなかにつけるようにして、おなかをひっこめるイメージです。
無痛分娩のメリット
最大のメリットは、何といってもお産の痛みが軽減されることです。そのほかには、産後の回復が早いという感想もよく聞かれます。また、分娩に対する苦痛や恐怖などのネガティブな経験を回避できるため、次の妊娠に肯定的な気持ちになれるという意見もあります。
無痛分娩のデメリット
無痛分娩のデメリットとは、分娩経過について言えば先ほどお示ししたように分娩時間の延長や吸引分娩率の増加があげられますが、帝王切開率や児の予後に差がないことを考えるとこれらは必ずしもデメリットとは言い切れません。やはり、問題になるのは無痛分娩による合併症です。他の医療行為と同様に硬膜外麻酔による合併症も起こり得ます。最も重篤な合併症が遅発性の局所麻酔薬中毒と全脊髄くも膜下麻酔です。
局所麻酔薬中毒
局所麻酔薬の異所誤注入が主な原因です。カテーテルが血管内に迷入し局所麻酔薬が直接血管内に注入されることにより起こります。症状としては耳鳴り、舌のしびれ、味覚異常や多弁などの神経興奮状態が先行し、更に血液中の麻酔濃度が高くなると痙攣や不整脈を生じ心停止に至ることさえあります。予防策としては、カテーテルの挿入直後に吸引試験や局所麻酔薬の少量分割投与を行うことでカテーテルの血管内迷入を早期発見することです。ただし麻酔開始時にはカテーテルが正しく硬膜外腔に挿入されていても、麻酔開始後に妊婦さんが体を動かすことでカテーテルの先端が血管内に入り込むことがあります。これら血管内への誤注入は直ちに症状が出現するか、あるいは一定量の麻酔薬を投与しても十分な麻酔効果が得られないことにより気づかれることがほとんどです。よって血管内への誤投与が起こっても投与される麻酔量が多量になることはなく、適切な処置を行えば生命の危機に至るほどの副作用が起こることは稀です。最も重篤な合併症はカテーテルが正しく硬膜外腔に挿入されていも、投与する局所麻酔薬の量が多すぎることにより引き起こされる遅発性の局所麻酔薬中毒です。多量に投与された麻酔薬はすぐには体内から排出されないため、遅発性の局所麻酔薬中毒の症状が出現すると救命処置が極めて困難になります。遅発性の局所麻酔薬中毒を防ぐための予防策が最も重要とも言えます。
一般的に上記合併症を予防するため局所麻酔薬は低濃度で使用される傾向があり、当院でも局所麻酔薬としてアナペイン®️(ロピバカイン)を0.08%の低濃度で使用しています。また麻酔開始後は麻酔の広がり具合や痛みがどの程度軽減されているかの指標としてコールドテストやNRS(Numerical Rating Scale)を頻回に繰り返すことで鎮痛効果の不良なカテーテルをいち早く検出し局所麻酔薬の過剰投与を予防しています。
全脊髄くも膜下麻酔
局所麻酔薬の異所誤注入が主な原因です。硬膜外腔に入れるはずの局所麻酔薬が脊髄くも膜下腔に投与されてしまうことによって起こります。無痛分娩で通常使用される麻酔量が脊髄くも膜下腔に誤って投与されると、麻酔の効果が急速かつ強く現れ、脳幹部まで麻酔の影響がおよぶと急激な血圧低下だけではなく呼吸停止や意識消失を起こします。カテーテル挿入後、吸引試験や局所麻酔薬の少量分割投与を徹底して行うことで上記合併症の予防に務めています。また、カテーテル挿入直後は硬膜外腔に正しく留置されていても、麻酔経過中にカテーテルがくも膜下腔に迷入することがあります。このため、局所麻酔薬中毒の予防策と同様、無痛分娩経過中は頻回にコールドテストやNRSで麻酔の広がり具合や鎮痛効果を評価することでカテーテルの位置確認を行います。
その他の合併症
- 硬膜穿刺後頭痛(PDPH: postdural puncture headache)
- 硬膜外腔にカテーテルを留置する際、穿刺針で誤って硬膜を傷つけてしまうことにより起こります。硬膜穿刺による髄液漏出が頭痛を引き起こすと考えられています。硬膜穿刺から二日以内に発現することが多く、頭痛のみならず頸部硬直や吐き気を伴うこともあります。坐位や立位で症状が増悪し横になると軽快します。症状が軽ければ痛みどめや安静で自然軽快を待ちますが、日常生活が制限される程の頭痛や視覚障害・聴覚障害などの随伴症状を伴う時は、妊婦さんの血液を硬膜外腔に注入し穴を塞ぐ硬膜外自己血パッチ法を行うことがあります。
- 硬膜外血腫
- 硬膜外腔に血腫(血のかたまり)ができることを言います。血腫により神経が圧迫され適切な処置を行わなければ不可逆的な神経障害を生じることがあります。発症頻度は非常に稀ですが、血液を固まりにくくする抗凝固剤を使用している方や血小板数が減少している方は発症リスクが高いため、硬膜外麻酔が行えないことがあります。
- 硬膜外膿瘍
- 硬膜外腔に膿瘍(うみ)ができることを言います。カテーテル挿入は清潔操作で行われるため発症は極めて稀ですが、血腫と同様に不可逆的な神経障害を生じることがある重篤な合併症です。血腫や膿瘍形成を疑った場合、専門施設に精密検査を依頼し、外科的な治療が必要になることがあります。
無痛分娩は上記のような合併症が起こりえるため、緊急時に備えて日々、医療スタッフの研鑽や医療設備の充足など、より安全に行えるよう努めております。